北海道新幹線の旅(函館と七飯)報告

 

昭34(薬) 岡 良和

 

 

 関西東大会の発足以来継続している旅行・グルメ同好会は1999年幹事に慶田雅洋氏(S30農・在学中から東大の旅行研究会に所属)が就任されてから18年間、主に東日本を中心として30数回の旅行を続けてきた。慶田氏の企画は比較的狭い範囲を4~5日間かけて、地元の小さな博物館や歴史館、個人記念館などもじっくりと細かく見て巡るゆったりとした旅で、市販のツアーでは到底求められないタイプの旅行である。

今回の企画は昨年3月新函館北斗まで開通したばかりの北海道新幹線に乗って、函館と七飯を巡る旅である。この同好会は既に礼文島や利尻島をも含む過去6回の北海道旅行を体験しているが、全て航空機で北海道入りしていた。今回の旅は北海道新幹線に乗ることが目的の一つでもある。

5月14日(日)正午頃、参加者は東京駅に集合した。この会は通常15名前後の参加者があったが、今回は常連の参加者が他の用事や海外旅行と重なったり、体調を崩されたりで、残念なことに過去最少の僅か6名の参加となった。12時20分発の新函館北斗行「はやぶさ19号」に乗車、上野、大宮、仙台、盛岡、八戸と停車して、15時30分に新青森に到着、それから青函トンネル(通過時間約25分)をくぐり抜け、約1時間後の16時34分に終点の新函館北斗駅に到着した。東京から僅か4時間14分、かつては青函連絡船だけで3時間50分を要したことを考えると、まさに夢のようである。
新函館北斗駅は在来線の函館駅から北方に約18Km離れた北斗市の田畑の中に作られた駅であるが、将来札幌と本州を最短距離で結ぶためにはやむを得ない措置であったようである。在来線に乗り換えて札幌方面に向かい、大沼公園駅で下車して函館大沼プリンスホテルで2連泊した。

5月15日(月) ホテルは大沼国定公園の緑豊かな自然に囲まれた場所にあり、窓からは正面に北海道駒ヶ岳(1131m)が眺められる筈であるが、残念ながら2日間とも曇り空のため山頂を見ることが出来なかった。3日間の貸切バスで9時半にホテルを出発し大沼公園に向かった。途中で明治38年創業と云う有名な団子屋「沼の家」に立ち寄った後、湖岸に到着し遊覧船で大沼、小沼を巡った。これらの湖沼は活火山である駒ヶ岳の噴火により河川が閉じ込められて出来たもので、同様にして出来た裏磐梯の湖沼の風景とよく似ている。
この地域一帯は亀田郡七飯町に属し、江戸時代から箱館から小樽方面に抜ける交通の要衝であり、明治以後は官営農園なども出来て、北海道農業発展の原点ともなってきた。「男爵いも」として知られるジャガイモは、明治時代にイギリスに留学して造船技術を学んだ川田龍吉男爵が函館ドックの専務として着任し、七飯に自家農園を開いて海外から11種にのぼるジャガイモを購入して試験栽培した。その中の1種が味が良くて収量も多く病気にも強いことが発見されて近隣農家にも広がり、「男爵薯」と命名されて全国的に有名な銘柄となった。国道5号の脇に「男爵薯発祥の地」の記念碑が立っている。記念写真を撮った後、立派な建物の七飯歴史館を訪れ、館員の熱心で詳しい説明を受けながらこの地域の歴史について学んだ。七飯はナナエと読まれるが、初めての人にはまず読めない。この地域は七重村と飯田村から出来ていたが、明治時代に町村合併で七飯(ナナイ)村となった。ところがイとエの区別のつかない東北弁の影響で、いつの間にかナナエになってしまったという説明が面白かった。昼食後、町内にある北海道昆布館を訪れた。館内の昆布資料館で北海道各地産の昆布の特徴などを勉強した後、沢山の昆布や加工品を扱う物産館で土産物を買い込んで、3時半ごろホテルに帰着し、外人団体客の到着前にゆっくりと温泉を楽しんだ。

5月16日(火)10時にホテルを出発して函館に向かい、まず五稜郭を訪れた。ペリー来航による函館開港に伴い江戸時代末期に建造され、僅か数年後の戊辰戦争の際に榎本武揚が率いる旧幕府脱走軍によって、半年間占領されていたことで有名な西洋式の星形城郭である。隣接する最近再建された五稜郭タワー(107m)からその美しい全景を眺めることができた。明治維新で破壊された城郭内の箱館奉行所も最近復元されている。函館市内の明治12年創業の有名洋食レストラン「五島軒」で昼食後、郊外の山中にあるトラピスチヌ修道院を訪ねた。明治31年にフランスから派遣された8名の修道女によって創立された、日本最初の女子修道院である。美しい建物の外観と整備された庭園を楽しんだ。市内に戻って高田屋嘉兵衛資料館に入館して館員の説明を受けた。嘉兵衛の業績は司馬遼太郎の「菜の花の沖」でよく知られている通りである。港に接した古い赤レンガ倉庫群などを散策した後、これから2連泊するホテル「男爵倶楽部」に到着した。名前からはレンガ造りの古いホテルを想像していたが、きわめて近代的なホテルであった。

5月17日(水)ホテルは有名な「函館朝市」に隣接しており、ホテルの朝食代わりに朝市の幾つかの食堂で通用する食券も発行してくれたので、それを利用して新鮮な海産物の満載された海鮮丼を食することができた。この日は雲一つない快晴で、4日間の中では最も素晴らしい天候に恵まれた。9時30分出発し、近くの港に係留されている青函連絡船記念「摩周丸」を見学した。船内には青函連絡船の歴史など、多くの展示物が陳列されていたが、戦時中の米軍機襲撃による全連絡船の消滅と、死者・行方不明者1,100名以上を出した昭和29年の洞爺丸の遭難は特に悲しい出来事である。次いで市内南端の立待岬に向かった。途中車窓から石川啄木一族の墓が見えた。啄木は妻子とともに一時函館で暮らしたことがあり、26才で東京で没した後、個人の遺志によりこの地に墓が建てられたという。立待岬の展望台は津軽海峡に突き出た断崖上にあるため、遠方には下北半島を望むことも出来た。さらにバスで背後の函館山(334m)に登った。展望台からは眼下に函館市内と函館湾、右手に津軽海峡が見られ、北方遠くには昨日まで見ることが出来なかった駒ヶ岳がくっきりと姿を現していた。展望レストランで昼食の後、ハリストス正教会、旧函館区公会堂など麓の高台に広がる歴史的建造物を見学し、函館港を一望できる元町公園などを散策した。

 

 5月18日(木)朝食後に解散し、新函館北斗駅10:49発「はやぶさ18号」と12:44発「はやぶさ22号」の2組に分かれて東京に向かった。今回もまた色々と収穫の多い旅であった。

 

 

 

 

 

 

函館山からの眺望

 

 

 

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