旅行グルメ同好会 北海道-道東-の旅 報告

(旅行記 )昭34薬 川村邦夫
(スケッチ)昭32工 渋谷寧伸

旅行グルメ同好会:関西東大会のホームページには「家族同伴の小旅行、グルメを実施」と紹介されているが、この会の特徴は、旅行の企画と内容にある。駒場の旅行研究会以来60余年の国内旅行の企画の実績を持ち、国内交通と各地の名所旧跡、穴場の隅々まで熟知して幹事、慶田幹事の力量によるところが大きい。その博識は、旅行会社やベテランガイドと言えども遠く及ばない所である。実施に当たっては、細部は旅行社にまかせてはいるが、予定はそのままにしておき、現地で慶田幹事の考えに従って、省略、変更したり、更に良い訪問先に変更されたりしている。加えて、参加者は高齢者が多いが、皆旅慣れた元気者ぞろいである。参加者の年齢も考慮され、訪問先の数を稼ぐのではなく、ゆっくり・じっくり楽しむ旅である。また、かなり詳細な解説が慶田幹事によって作成され事前に配布されていることも、この旅行をより楽しいものにしていた。
旅の概要:今回の参加者は同伴者を含めて12名。10月19日朝、大阪伊丹から東京羽田を経て、14時35分、女満別着、5日間の北海道の旅をスタートした。北海道は道路が良く整備されているため小型バスがなく、12名は大型バスに乗り全行程をゆったりと移動するという旅であった。4泊のうち、屈斜路湖プリンスホテルに2連泊、十勝川温泉の観月苑に2連泊し、荷物の持ち運びが少ないのも有難かった。
今回の旅は、「北海道の道東」の旅であり、女満別空港から、美幌峠―屈斜路湖プリンスホテル泊、(第2日目)和琴半島―砂湯温泉―大鵬相撲祈念館―摩周湖第一、第三展望台―硫黄山―屈斜路湖プリンスホテル泊、(第3日目)双岳台―双湖台―ペンケ・パンケ湖―阿寒湖遊覧船―神田日勝記念館―十勝川温泉観月苑泊(第4日目)元JR幸福駅―中札内美術村―忠類ナウマン象記念館―観月苑泊、(第5日目)ビート(甜菜糖)資料館―とかち帯広空港を16時10分発で帰路につくと言う行程であった。
既に、10月中旬を過ぎており、全行程で山野は紅葉が盛り或いはやや盛りを過ぎた状態にあり、全山が赤、黄色に彩られており、天候にも恵まれ、天然の美を満喫しながらのバス旅行であった。一日だけどんよりとした曇り空であったが、雨にも雪にも降られることはなかった。帰宅後一週間後には北海道東北部では雪のニュースが入り、天候の面でも、幹事の日程の組み方は最も良い時期の選定であった。
第1日目:女満別空港から美幌峠を通って屈斜路湖へ向かった。
美幌峠は菊田一夫のドラマ「君の名は」の舞台ともなり、真知子のストールの巻き方から、「真知子巻き」というファッションを生み一世を風靡したものであった。もう50数年も前の事である。峠から屈斜路湖畔へ下り、屈斜路プリンスホテル泊。
 
  <屈斜路湖砂湯にて>
 
第2日目:和琴半島、砂湯を経て大鵬相撲記念館へ。弟子屈町にある大鵬相撲記念館を訪ねた。1960年代の名横綱の出身地弟子屈町にあり、32回の優勝を含む大鵬の輝かしい相撲人生を飾る品々と当時の様子を克明に伝える展示がある立派な記念館であった。当時は、高度成長のよき時代であり、「巨人、大鵬、卵焼」などと言われたものであった。弟子屈町で昼食後、摩周湖へ。 摩周湖は、「霧の摩周湖」と言われ、霧に覆われて湖面を見ることが出来ないことが多いと言われているが、この日は霧が全くなく、二カ所の展望台から湖面全体を眺めることができた。但し、曇天であったため、湖面も曇天を反映した灰色の湖面であった。次いで硫黄蒸気の噴出している硫黄山を訪れた後、屈斜路プリンスホテルに連泊。
 
  <スケッチ 硫黄山>

第3日目:弟子屈と阿寒の間は人っこ1人いない無人地帯である。途中、雄阿寒岳や雌阿寒岳の双岳台やペンケ沼やパンケ沼が紅葉の間から見える双潮台などの絶景がある。無人の山間を走って到達する阿寒湖畔はみやげ物屋が並ぶ賑やかなところである。阿寒湖は特別天然記念物のマリモの植生で知られている。一時、生活廃水による汚染のため減少し、絶滅が心配されていたが、関係者の努力により最近は増加の傾向にあるという。阿寒湖を船で遊覧し、阿寒湖の中央にあるマリモ展示観察センターでその植性の解説を見学した。マリモは緑藻の一種で、阿寒湖のものは糸状の藻が集まって球状体となる珍しい藻である。一定の大きさを超えると、中まで光が通らなくなり、炭酸同化ができなくなり中央部が空洞になって、解体するという。お土産屋でビン入りのマリモを売っているが、これはシベリアからの輸入品であるとか、糸状の藻を人工的に丸めたものであるとか言われていた。
いずれにしても、特別天然記念物は採取禁止である。午後は阿寒湖からバスで足寄町を経て、帯広市郊外まで長距離移動し、夕刻鹿追町にある神田日勝記念美術館を訪ねた。
神田日勝は北海道では有名な画家であるが、不明にして私はその名を知らなかった。昭和20年8月に東京から疎闊し潜水艦の出没する津軽海峡を無事乗り切って十勝郡の鹿追町に辿り着いたのは8月14日で終戦の一日前であったという。東京には二度と戻らずに北海道で農業を続けながら絵の制作に励んだという。32歳で早逝されたが、その偉業を憩えるために北海道では記念館を造って保存している。記念館には「神田日勝の造形思考~キュウビズム的多視点~」と標題が付けられているが、同じ1960年代に、「人間A~どう生きるか、どう描くか」や「画室B」というキュービズムの代表的な絵もある半面、「湿原の群馬」の様な写実的な絵もある。印象的なのは「馬(絶筆)」である。馬を途中まで、顔、頭、胴の半分だけ描いたところで、1970年に絶筆となってしまった絵である。中札内の美術村といい、神田日勝記念館といい、北海道には広い大地に広いスペースを取った建物、周辺に庭のある良い美術館が多い。十勝川河畔にある十勝川温泉観月苑泊。
 
  <スケッチ 十勝中央大橋>

第4日目:幸福駅。「恋人の聖地」と言われる幸福駅に立ち寄った。元国鉄広尾線の駅で今は廃駅となっているが、駅舎と表示板だけが残っている。我々にとっては、さしずめ「健康長寿」が幸福であろう。幸福駅をあとにして、中札内美術村へ。白樺やブナの広い林の中に「相原求一郎」、「北の大地」、「小泉淳一郎」、「夢想館」という4個の美術館と販売店、レストランが点在している。静かな雰囲気の林の中を散歩しながら絵画、彫刻を鑑賞することができる。午後はナウマン象記念館。帯広の幕別町忠類にある忠類ナウマン象記念館を見学した。ナウマン象は約20万年から2~3万年前まで日本列島や東アジア大陸に生息していたとされている。ここ忠類のナウマン象の生息年代は約12万年前と推定されている。1969年、農免道路工事中に偶然発見されたもので、完全な形に復元されたナウマン象が展示されている。日本では他に、瀬戸内海や野尻湖でも発見されているという。長いキバを持つ見事な復元骨格か古代への夢を誘う。観月苑に連泊。
  
<幸福駅にて>

第5日目: 旅の終わり、「とかち帯広空港」に行く途中、日本甜菜製糖(株)の「ビート資料館」を訪ねた。日本の甜菜製糖の歴史と当時使われた器械などを展示している。甜菜糖工業生産の歴史は明治4年に内務省の肝いりで始まったこと、その局長松方正義氏(後
の総理大臣)は日本甜菜製糖(株)の社長正熊の父、元駐日大使ライシャワー夫人松川ハルの祖父にあたるという。
最後に、この旅のグループの名前は、「旅行グルメ同好会」であるが、グルメの話が全く無くなってしまった。どのホテル、旅館も精選された美味しい料理を出すホテル、旅館であり、全ての料理がおいしく、4日間とも満足、満腹となりいずれも、優劣付けがたい美味であった。(終)