関西東大会発足当時を顧みて(20周年記念誌への投稿)
石井賢治(昭23経)
20年前の12月、関西東大会創立総会の出席者は、その時の名簿によれば174名(但し後日発表された当日の会費収入では144名)。その翌年3月に発行された会員名簿では491名、そのころの在関西有資格者該当者は5000名超と推測されていた。
当時は,東京の「銀杏会」との関係等についても些か懸念を抱き乍ら、関西東大会設立の世話役、事務局の方々のご賢策を信頼して本会に入会した事、又当初は「東大会サロン」と称して、大阪グランドホテルで開催されていた毎月の懇親例会にも時折出席していた事が思い出されます。
当時の会員で私の記憶に鮮明な方としては、初代会長の田鍋 健さん(積水ハウス)、関経連会長の宇野 収さん(東洋紡)、関西国際空港の竹内良夫さん、毎日放送の斉藤守慶さん、大阪府知事の岸 昌さん、大阪市長の大島 靖さん、都ホテル大阪の井上 隆さん等、その他、日本生命の弘世 現さん、松下電器の松下正治さん等も思いだされます。
私個人的には、昭和25年よりより30年余り勤めた商社を退職して、養父の残してくれた400坪あまりの屋敷跡を活用した賃貸マンション経営に踏みきったところ、一階にスパーマーケット(最初は食品関係、途中からドラッグストアー)が入居し、順調に推移して今日にいたっております。
長いサラリーマン時代、皆さんもご経験がおありになるとおもいますが、東大出身者は余り表立っては名乗りを挙げない伝統・しきたりのようなものがありました。早稲田・慶応出身者等は周囲を余り気にせず活発に会合等を持っていましたのに比べて何か遠慮勝でした。そんな体験をして来た私どもにとって、東大も愈々同窓会らしきものを作ることになり、喜んで参加したのが本会でした。
因みに、旧制高校は各地で寮歌祭を始め、各高校とも積極的に同窓会を開催してきましたが、学制制度の改革で、昭和24年頃を最後に後輩がなくなった所為もあり、段々と先細りの形で今や風前の灯火となっています。 が、それにくらべると大学の方は未来永劫不滅です。今後益々充実した同窓会活動が展開され、夫々の地域分野で有意義な存在となり、社会貢献できることを願って居ます。

