京都東大会「秋のイベント」
「フェノロサ没後百年記念と三井寺・国宝指定の客殿・障壁画観賞」に参加して
京都東大会幹事・関西東大会会員 土方宥二(昭33年文)
庭の菩提樹が秋雨に濡れている三井寺・法明院。 静かに福家長吏の読経が流れる。
正面の大床にフェノロサの写真と遺品、位牌が飾られている。
位牌には仏教に帰依し、法明院・櫻井阿闍梨から戒を受け得度したフェノロサの戒名が刻されている。
フェノロサは1870年(明治11年)東京大学に招かれ8年間、哲学・理財学(経済)政治学を教え、岡倉天心、井上哲次郎、清澤満之らの俊秀を育てた。
傍ら、日本美術の研究・調査を進め、狩野芳崖・橋本雅邦らを見出し支援、東京美術学校設立に尽力した。
1908年ロンドンで客死。 遺言により遺骨は日本に帰り100年、法明院に今も眠る。
京都東大会は地元としてフェノロサ学会(会長・村形京大名誉教授)主催の記念行事に、古川副会長夫妻、太田代表幹事夫妻はじめ九組の夫妻、合せ三十四名が参列、香華を捧げた。
午後は東大会独自の行事として、琵琶湖ホテルにて懇親昼食会を和気藹々のうちに終わり、続いて、世界的に著名な、国宝・勧学院、光淨院の二客殿を見学。
両院とも非公開ながら、園城寺(三井寺)のご厚意で特別に拝観できたことは、眼福この上なく、望外の喜びであった。
光淨院客殿は1601年建立。車寄などに寝殿造の名残りがあるが、内部は書院造の典型で、特に畳の付書院(庭に面した書見部屋)は日本唯一の遺構である。部屋の正面は大床で、壁一面に金地に松の大木の絵が貼られ、三面の襖絵とともに狩野山楽の筆と言われ重文、桃山時代の豪華絢爛さを残しているが、剝落が惜しまれる。
案内の僧侶が庭に面した木戸を開け、襖を見て愕然! 絵が無残に切り取られ白紙の襖。廃仏毀釈で役所として使われ、日露戦争時には捕虜収容所となり、庭側の全面の襖絵が失われたと聞き、愚かさの歴史の影の部分を見、不可逆である歴史の重さを感じながら光淨院を去る。
北政所の創建になる金堂を右に見て、一突き三百円「三井の晩鐘」の嫋々とした音色に送られ勧学院客殿に向かう。
勧学院客殿は1600年毛利輝元により再建。内部に三列八室を持つ。光淨院と共に日本を代表する書院建築。南列の一之間、二之間の障壁画(重文)は狩野光信の代表作。一之間は四面とも金地着色、大床壁貼付の滝図を中心に四季花卉図が部屋をめぐり、静雅・優美である。しかし豪華さに圧倒されていささか緊張感を覚える。二之間は襖に直接、花鳥図二十四面が描かれ渋く写実的で、何となく心が休まる。いずれも保存状況は極めて良い。
フェノロサ忌から園城寺の二客殿、世界に誇れる日本の美を堪能し、心豊かに帰路につく。
秋霖の 中の法要 フェノロサ忌
客殿の 四季の花鳥図 秋深む 萌(大竹啓介氏夫人)

