春 の イ ベ ン ト ―建仁寺・東福寺訪問と花郷での昼食―
「キリスト教もイスラム教もお互いがおのれの正統性を主張して、いがみあっている。それに比べ、仏教はあらゆる宗教を平等に尊重し、何事についても自然を最高のものとする普遍的な考え方を持っている」との見解が、去る五月十七日(日)午前中に訪問した建仁寺でも、午後に訪れた東福寺でも、案内役の若い御住職から聞かされた。
建仁・東福の両寺はいずれも京都五山に属する名刹であるが、期せずして、同一の仏教観を耳にしたのは、私にとり、この上ない驚きであった。思えば、両寺とも禅寺であり、その行動は坐禅に基礎をおいている。ひたす
ら無心の境で、キリスト教やイスラム教をその禅的思考の対象にしていけば、同じ一神教でありながら、その同一の神へのアプローチがキリスト教とイスラム教ではまったく異なる信仰であり、おのおのの精神的狭隘さに気付くのも、ある意味で理の当然なのかもしれなかった。
両寺に共通した発言を耳にしたとき、現代日本人の幾人が、履歴書の信仰欄に「仏教」と記載するとき、果たして、この仏教の真性を熟知しているのであろうかとひそかに考えて、慄然とした。現代人は老若男女を問わず、その心が仏教から隔離しているのが実態ではないのであろうかと考えたからである。
五月十七日(日)、京都東大会が企画する“春のイベント”に東京から参加した。
いつも京都東大会の催物は新鮮であるが、今回のメインは午前中に建仁寺、昼食は祇園の料亭「花(はな)郷(さと)」で、午後、東福寺訪問があった。万事に配慮の行き届いた幹事のお志で、両寺では若い御住職の懇切丁寧なご案内がついた。その一端が冒頭の共通する仏教観である。
まず、われわれ一行は建仁寺を訪れた。
私にとり、建仁寺の名を聞くと連想するのが、「風神雷神図屏風」であった。俵屋宗達の真作は京都国立博物館に大切に保管されており、私どもは、過日、別途に拝観していた。「風神雷神図屏風」の移転の詳しい経緯は知らないが、開山以来八百年の古刹では保蔵にかんする環境や稠密性に問題があったのであろう。そこで、建仁寺ではキャノンが提供する最高の現代写真技術で撮影したレプリカを展示していた。案内の雲林院御住職はその技術性を評価していたが、率直に申して、真作の素晴らしさと同一視するのには、いささか無理が感じられた。
もう一つ、法堂内の頭上に小泉淳作画伯の描く「双龍図」があった。手持ちのカメラで運を天に任せて撮影したら、阿(あ)吽(うん)を表す二匹の龍と玉を掴む手が鮮明に写されていた。その爪は五つで、三爪とする中国常識をはるかに凌駕する逸作であった。
昼食は建仁寺から徒歩数分内にある祇園の「花(はな)郷(さと)」でとった。
京都東大会田中 伸事務局長がこの料亭の顧問弁護士であるとの人の利があって、多彩で豪華な正餐が食卓に並べられた。その上、同会の太田 譲二代表幹事ご提供の美酒「黄桜」で参加者の食欲を増進して頂き、全員午後のスケジュールを忘れて、酒食と会話に専念した。
午後、最後の東福寺をマイクロバスで訪問した。
東福寺も広大な敷地を有する古刹であった。一度や二度の訪問で、全容を知ることは不可能な広範囲を占めていた。
そこで一つだけ特筆すれば、仏殿を登って眼前に展開する絶景を展望したことであった。めったに開放されない仏殿への階段登りが京都東大会幹事のお骨折りで特別に実現した。
まず三門(空門、通門、無作門)のところで、杉井御住職から禅問答を受けた後、東福寺訪問目的の重大な一つである仏殿への階段へと進んだ。階下で見上げるとこれまで経験をしたことのない急勾配の段々があった。安全のために、階段の両側に手すりが設けられていた。昼食の酒がまだ残っており、手荷物を捨て、ゆっくりと一段一段登っていった。
やっと頂上に登り切ると眼下に思遠池が見え、さらに遥かに、京の街なみが展開していた。
ここの表現ではないが、まさしく「絶景かな」であった。
本堂で幾分か経過したころ、御住職が太い柱に耳を付けてみると「何かが聞こえる」と教えてくれた。参加者は全員息をつめて柱に抱きつき、耳を当がってみた。私には何も聞こえなかった。(きっと精進が足りないのであろうと思った。)
東福寺の方丈を覘いて、通天橋を渡った。真下の洗玉澗(小川)の両側に紅葉が一面に新緑を競っていた。通天橋から眺める様はまさに上から見る紅葉であった。御住職から‘秋季に再来訪を’と誘われた。
京都は私どもをいつも温かく迎え入れ、あたらしい感動を与えてくれる。





東京銀杏会 昭35法 古池 一視
[完]

