2018 年夏の講演会の報告

幹事 岩田 恵(平3工)

2018 年8 月26 日(日)
ホテルグランヴィア大阪
講師:東京大学名誉教授 安藤直人氏
演題:「やってきた!大規模木造建築の時代
~木と鉄とコンクリートの共創」

 

 

安藤先生の略歴のご紹介
昭和25 年(1950 年)東京都生まれ。
東京大学農学部林産学科卒、
同大学院修士課程修了。
農学博士。東京大学名誉教授、
慶應義塾大学特任教授(2016 年度まで)。
日本木材輸出振興協会会長、木材・合板博物館館長、NPO 法人木未来理事長。
(受賞)1987 年日本木材学会賞、2001 年木質材料・木質構造技術研究基金賞
2002 年日本建築学会作品選奨、
2008 年木づかい運動日本木材情報センター理事長賞
(近著)「安全で長持ちする木の家‐耐久性が住宅を変える」(2010.5 ラトルズ)
「新・木質構造建築読本」(木質構造研究会編 2012.6 井上書院)

 

関西でご活躍される関西東大会の皆様に話ができることを嬉しく思います。
高校を出たのが昭和 44 年。東大入試の無い年だったのだが勉強してなかったので逆に嬉しかっ
た。なんで大学に行くのかが疑問で後輩の面倒を見ていて勉強をしていなかった。そういう自分
が名誉教授になったのは不思議な気持ちです。ほどほどに楽なお話をします。大規模な木造が
日本で話題になっていますが 2020 年のオリンピック競技場を隈研吾さんが造ることで話題になっ
ていますが日本は遅れていて世界のトレンドは木造なんです。文系のひとも多いと思いますので
この社会背景を説明します。

 

「いちょう」と「もみじ」、これは東大のマーク。自分の略歴からすると東大にずっと居たわけではなく
なぜか出ては戻るを繰り返しました。1977 年修士を出て住宅メーカーに勤務。博士課程に行った
らだめになると感じたために 2 年間民間へ行ったのですが、わずか2年の民間勤務の後大学へ助
手として戻りました。

 

何を求められるかということ、何ができていないかということが民間に出てわかりました。
1979 年から恩師との関係で助手としてサポートして、徒弟・でっちみたいな感覚がありました。
その後定年で恩師が異動されたため 1987 年から京大の木質住宅研究所に客員で勤務。木造の
大きな校舎をつくりました。民間の会社にいた経験が活きました。その後独立してコンサルタントと
して 1 年間働きました。そのとき阪神大震災の後だったため木造建築のコンサルとしての需要があ
り当時安藤家の財政は一番豊かだったのです。私は何回も辞表を書いています。道はまっすぐな
んだけれどキャリアは紆余曲折です。1997 年に助教授として東大に戻ります。大学の方が給料が
下がっちゃいました。木質構造学講座を担当(JKHD)現在東大は定年は 65 歳だけれども 60 歳で
退官しました。その後特任教授として2016 年まで務め退職し、慶応大学の特任教授となりました。
理系の大学院の授業は 10 人くらいですが私学ではどんどん人が増え、最後は授業に 300 人ほど
学生が詰めかけていました。たくさんの学生に木のことを語る機会があったのは嬉しいことでした。

 

現在は木材合板博物館の館長をやっており機関誌の PLY を発行しています。今日お配りしたそ
の PLY で私がプロデュースした農学部の弥生講堂を取り上げています。これは農学部創立 125
周年を記念し農学部で建てるので、木造しかあり得なかった。助教授として東大に戻ったとき現場
実務がわかる人が他にいなかったため私にやるように言われました。私はものごとをどう動かすの
かわかっていたので周りから重宝されました。建築の設計をされた香山壽夫先生に雑誌を出すか
らとインタビューをさせてもらったのが載っています。是非会員になって PLY を購読してください。
私が東大に戻ってからつくったものの話をします。

 

【農学部正門(2003 年)】
これは傷んでしまった農学部の正門を 2003 年に作り直したものです。木を木曽まで探しに行きま
した。木は値段が安いというイメージがありますが貴重材は高いのです。ヒノキの太いもので目が
通っているもの。門は野ざらしになるのでちゃんとした木でつくりたいと思いました。結局家が2軒
建つくらいかかりました。本部の施設係はなぜこんなにかかるのかとびっくりされました。前回作ら
れた門は台湾のヒノキでつくられました。その当時台湾は日本だったのですね。今回は日本のヒノ
キでやろうとしました。写真は出来立ての木の風合いの色です。京都でも奈良でも古い材料の木
は変色し周囲に馴染んでいくものです。鉄もコンクリートもそういう物ではない。木は風合い・色が
変わるのでだんだんと馴染むのです。1937 年の農学部正門が新しいものに入れ替わりました。工
学部に出入りされていた棟梁の田中氏が古い門の中の木材の様子を調べてくださりましたが、外
の色は変わっているが中は全く劣化していなかった。ただし金物の錆の酸によって木材を痛めて
いることがわかりました。今までの門は 1937 年から 67、8 年経ったものでした。2003 年に新しくな
った門は風合いが出てきています。太さと良い目の木が今は探すのが難しく値段が高い。難しい
ですね。
 

 

 

【農学部環境整備(ヒマラヤスギの伐採と活用・2003 年)】
弥生キャンパスのヒマラヤスギは明治時代、大蔵省が日本の各地に苗木をばらまいたものが育っ
たもので 90 年以上経っていました。年 2 ㎝ほど太くなり生育が良すぎて木の周囲の日当たりが悪
くなっていました。日照を良くするため 4 本のうち 2 本を切りその後、東大の中で活用することを試
みました。木は植え替えし更新していかなければなりません。木は切るとボリュームがありますね。
切った後製材して自分の研究室に保管していました。乾燥させた後のものではないので臭いがす
ごかったです。これはテーブルにしてみました。根を抜根できなかったのですが腐っていく木がど
うやって劣化していくかの教材になりました。昔の正門は保存しています。
廃材の利用を考えたときプラスティックと混ぜることを考えました。木の粉とプラスティック(熱可塑
性樹脂)を混ぜるとウッドプラスティックができます。成型して工場で使うパレットが作れます。冷凍
庫で使えるので食品を載せることができます。実は普通のプラスティックはマイナス 30 度になる冷
凍庫では使えないのです。木とプラスティックを混ぜると低温が大丈夫になる冷凍庫で使えるとい
うのは発見でした。技術顧問をしている WPT(ウッドプラスティックテクノロジー)という会社で 2009
年に岡山工場を、2013 年に鳥取工場を稼働して生産しています。

 

【東京大学弥生講堂一条ホール(2000 年)】
農学部設立 125 周年事業として 300 名のホールをつくることになりました。一条工務店の寄付によ
り建設が行われました。2000 年 3 月に竣工し Mrs.クリントンやチリの大統領が来られたこともありま
す。リピート率、回転率が良く儲かっている施設です。施設をつくるイニシャルコストは出るのです
がメンテナンス費が出ないことが多い。この施設では儲けはメンテナンスに使うようになっています。
木質系の教室で木材のことをやっていますが学生は木の建築のことを知らない。そこで大きな建
物ですが木の軸組構造で建築ができないかと考えました。木造は劣化するのでどうやって補うか
が問題です。この建物は木造建築ですがガラスで覆われ木が外に出ていない。紫外線で色の変
化はありますが材料の変質はない。軸組に使ったカラマツは赤くなって良い色になっています。

 

【東大弥生講堂アネックス(2008 年)】
予算はないのだけど先生方から学会でパネルを出すスペースがほしいと言われました。そこで
MAX80 の椅子が並べられ、ポスターセッションができる建物を考えました。木材によるハイバーボ
リック HP 形状をつくり現場で組んで吊り上げることにしました。現場施工は普通の大工がやりまし
た。建物の窓が大きく夕方に光が漏れキャンパスに活気をもたらしています。弥生講堂アネックス
の多目的ホールはセイホクギャラリーといいますが、私のゼミ生のウェディングパーティーが行わ
れました。このときのウェディングケーキはバームクーヘンで入刀はのこぎりが使われました。食べ
物なのでのこぎりはさすがに新品でした。こうやって建物が活かされると喜びを感じますね。ドイツ
の建築雑誌の Taschen の 100contemporary wood building にも取り上げられました。この建物のそ
ばに新たにハチ公と飼い主の上野英三郎博士の再会の銅像が建てられ記念撮影のスポットにな
っています。上野博士の研究所は当時駒場にありましたが直系の研究室が現在農学部にあるの
です。大学の門戸開放が現実的になりました。

 

【東大・向ヶ岡ファカルティハウス(2009 年)】
農学部の一番奥、もともと学寮のあった跡に建てられました。林の中、レストランと客室のある宿泊
施設でホテル棟には 14 部屋のツインが3つで残りがシングルとなっています。大学関係の方が利
用できますが海外の方が優先的に利用できるようにしています。談話室がありスコッチモルトがた
くさん並べられています。外の人ともいろいろ交流することができるようになっています。この談話
室を計画するのにたくさんのバーを見て回りました。ここのレストランのテーブルはヒマラヤスギが
使われています。例の東大産の木です。このようにするとそこの物語ができあがります。物語をつ
くりながら活かしていくのが良いと思っています。 

 

【京大木質化学研究所(現生存圏研究所)】
京大時代にやった建物で、木質ホール(1995)です。木の集成材による軸組構造+RC 造でつく
っています。

 

【国宝犬山城(1537 年)築 500 年くらいの建物】
日本は地震、台風、火事、おやじというくらい災害列島なのですが、愛知の犬山城天守閣が 2017
年 7 月 12 日落雷により屋根のシャチが破損しました。私が修理委員長となりました。瓦製のシャチ
で奈良で制作し新調いたしました。避雷針が横に見えますがしっくいでしっかりと固定をしました。
犬山城は5つあるお城の国宝のひとつです。

 

【法隆寺】
世界最古の木造建築で1400年前のものです。修理修繕が何度も行われています。これは窓には
められた連子格子で格子が 45 度振ってつくられているのですが、よくよくみるとこれは部材を組み
合わせてつくったものではなくて一枚の板材料を削り出してつくってあるのです。こうすると木部材
と木の部材を組み合わせた隙間が無く水が入らないので劣化しない。長く保つものには隠れた技
術があることがわかります。技術はそれが正解であるならずっと残っていきます。古くから残ってい
るものにはヒントがあるのです。

 

【鶴岡八幡宮拝殿】
1923 年の関東大震災で一度崩れています。大変なことでしたが今は復元されて元にもどっていま
す。長く保たれていると思われている建物でもずっと同じものではないことがあります。木造も現在
では耐震性が高くなっています。

 

【2011 年の東日本大震災】
震災のあと1棟だけ残っている写真です。私はいつも災害地に真っ先に飛び込むことにしていま
す。それはなんで壊れたか。何で残ったかを調べるためです。やはり残るものには理由があるの
です。この家は結局そのまま使うことはできなかったのですが、住んでいた人のアルバムが残り思
い出が残ったのです。耐震性などリスクの少ない家をつくらなければなりません。

 

【1995 年阪神大震災】
関西には地震が無いと思われていたのですが、1F にガレージがあるなど弱点がある家がたくさん
つぶれました。このときは木造だけでなくコンクリート造、鉄骨造にも被害がありました。

 

【2016 年熊本地震・熊本城】
木造の熊本城が被害を受けたと思われていますが、実は現在の熊本城は木造ではなく 1960 年
に鉄骨鉄筋コンクリート造で再建されたものだったのですが、まわりの石積みが崩れて落ちていま
す。木造は壊れる、燃える、白アリなどからどうプロテクトするかが問題ですが現在では技術は進
んでいます。

 

【名古屋城】
本丸御殿が総ヒノキで再建され公開されています。しかし天守閣は戦争の空襲で焼けたので戦後
RC で再建されていました。今度木造で建て替えることになりました。しかしながら実際は再建する
ための質の良い木材、太い木が無いのです。復元を材料レベルで考えると無理があります。私は
名古屋市にはまず市民の森をつくり 100 年後に建て替えるという提案をしました。その大木から必
要な材料のプロポーションをつくることができます。木造で復元したらエレベータが入れないそうで
す。観光施設としてはバリアフリーを求められるのです。木造の耐震性は建築基準法の問題もあり
ます。建築基準法の第 1 条にはこの法律は建築の守るべき最低の基準を定めているとあります。
基準の最低レベルを決めているわけです。これでよいのか?本来の好ましい基準は地域、人、環
境、多様なもとで木造のふさわしい使い方を考えていき自然素材の使われ方が安心安全になるよ
うに持っていく必要があると思っています。

 

【CO2 排出削減】
木は半分が炭素からできています。木 1 本で 500gの CO2 が吸着されるといいます。木は成長す
るとき炭素を吸着します。木を使うと新しい木を植えるので CO2 をさらに吸着することになり環境の
ためになります。

 

【木の文化、文明】
文化は伝統、匠、文化財というイメージがあります。文明は技術というイメージがあります。木を植
えると木材は 50~80 年で育ちます。今は山の木を使っていない。しかし今や世界中で木は足りな
い。かつて日本では木は足りなかったのですが今の日本は木の輸出国になれるのです。そのた
めには植える費用を負担しなければなりません。それは山を災害から強くすることにもなります。木
材輸出で日本材のシェアが上がりつつあります。今はアメリカにフェンス、北米向きはスギ材を輸
出しています。これは今まで使っていた外構エクステリアで使うレッドシダーという材料が枯渇しつ
つあり、代わりに日本のスギを輸出する事例が増えつつあるのです。山の材は建物の柱等で使わ
れてほしいのですが現実にはそういう材料として使われています。ロンドン、リオ、ときて 2020 年に
東京でオリンピックが開かれますが、そのための国立競技場 2020 隈研吾、伊藤豊雄の参加で木
造でつくることが条件のコンペが行われました。これは環境調和、木材の活用、日本らしさの表現
などがその目的とされています。その建設のために日本で木材が足りなくなっていると言われてい
ますが、実はオリンピック施設の建設では森林認証材しか使ってはいけない。そんな材料が手に
入らないということで足りないということにされてしまっているのです。

 

【春夏秋冬】
日本には四季があります。春は犬山城、夏は法隆寺、秋は弥生講堂が良い。そして冬の水を吸っ
ていないときに木を切る。自然の技術をいかに文明にしていくかということ。木造は住宅から大規
模建物へ。そして森林を活かすためには使わなければならないということを今日はお話しいたしま
した。

 

(書き起し文責:岩田)

 

 

 

(懇親会写真)


関西東大会のホームページへ