大阪京大クラブ 2011年6月(第4回)懇話会 参加報告
幹事 日笠 賢(昭55経)
掲題会に白井代表幹事、沖野事務局長とともに参加して来ましたので、下記に報告します。
記
日 時:2011年6月10日(金) 17:30~19:30
場 所:(社)中央電気倶楽部3階食堂
講 演:小長谷 有紀 氏 国立民族学博物館 民族社会研究部部長・教授
総合研究大学院大学地域文化学専攻
演 題:「モンゴル研究と梅棹忠夫」
出席者: 62名(関西東大会からは3名が参加)

【懇話会】
鈴木会長から、6月14日まで国立民族博物館で開催中の「ウメサオタダオ展」のことや、その実行委員長を務める今回の講師の小長谷有紀教授の紹介があり、司会者から今回大阪京大クラブに初参加の方の紹介とそのご挨拶があった後、食事会と講演会に移りました。
【講演会内容】
小長谷有紀先生の専門分野は文化人類学・文化地理学です。モンゴルに関する多くの論文を書かれており、日本におけるモンゴル研究の第一人者ともいえる方です。また現在は、国立民族学博物館にお勤めで、昨年7月に亡くなられた梅棹忠夫先生とは、長年にわたるご縁もお持ちです。今回は知られざるモンゴルの自然や、歴史、現状のお話に、梅棹先生との様々なエピソードも交えながらご披露いただきました。以下に要点のみを記載します。
〔モンゴルの自然と社会について〕
・モンゴル研究では、主にモンゴル国と中国内蒙古自治区を対象にしている。モンゴルの定義となれば、言語で区別するということになり、その場合は、ブリヤード共和国などのバイカル湖近辺やカスピ海の向こう側に住む人たちも入る。
・モンゴル国は、関空からの直行便なら4時間で行けて、世界一スカスカ(人口密度は、1平方km当りで1.61人)で、草原に満ち満ちており、この世の楽園の様な所である。
・それに比べると、中国内蒙古自治区は人口密度が高い(1平方km当りで20.15人)。
・モンゴル高原の自然環境の特徴は、乾燥と寒冷ということである。年間降水量が少なく(200~300mm程度=大阪の5分の1以下)、それも夏季に集中していて年変動が激しい。また、年間平均気温は氷点下であり、いかに越冬するかということが重要になる。
・草原生産力の維持のためには、人と動物が常に移動することが必要で、定住をされると蹄などの圧力が掛かり過ぎて、草が駄目になる。すなわち、定住は環境不適応いうことになり、中国内蒙古自治区では、定住、農耕化、都市化で草が無くなってしまっている。
・最近、日本でも黄砂が増えているのは、この中国内蒙古自治区の砂漠化の影響であり、砂漠化の原因は、過放牧よりも過人口、温暖化よりも土地への定着化があると考えられる。
・モンゴルの社会環境で特徴的なことが、「オアシス社会の不在」と「市場の不在」ということである。即ち、本格的に農耕を行なう者が無く、自分の周りは自分と同じことをしている人ばかりで、結局のところ「自分の物を売る相手がいない」ということである。
・西アジア等の牧畜経営では羊肉が市場で商品となるため、オスは子羊の段階で売られる(だから子羊料理で出るのは全てオスなのである!)が、モンゴルではオスを食べてくれる人がいないので、家畜のオスを去勢して維持する牧畜文化を持つことになった。
・その結果、羊やヤギは歩く冷蔵庫として、ウシは世界最強の曳き物として、ウマは世界最速の乗り物として、またラクダは冬季のウマ・ウシの代わりとして維持され、世界最強の軍事力が機能することとなった。去勢したオスを育てることで、草原に軍需工場としての機能をもたせ、「正業は軍事」といえる状況にすることが出来た(ただし19世紀まで)。
・この家畜の去勢は、1年1回行なわれるもので、モンゴルでは、「貞操帯はメスではなくオスがするもの」で、「たまにしか食べられないタマタマ料理」を、お祭りとして堪能する。
・この去勢に関する技術は日本には入っておらず、その点から、「騎馬民族征服王朝説」は、着想の斬新さは素晴らしいものの、誤っているという見方が出来る。
・なお、去勢に関する専門家や研究者は、日本の男性には殆どいない状況である!
〔モンゴルの二十世紀=社会主義体制とその後について〕
・1911年の辛亥革命で清朝が滅びると、モンゴルでは、チベット仏教の宗主である活仏をいただく政権が出来たが、1921年に人民革命が起き、1924年に活仏が寂滅するに及んで、モンゴルはソ連に続いて世界で2番目の社会主義国=モンゴル人民共和国になった。
・以来、1989年にペレストロイカの波が押し寄せて1990年に一党独裁の放棄、1992年に新憲法を制定でモンゴル国と国名を変えるまで、約70年間、モンゴルは旧ソ連の指導の下で、社会主義による近代化に取組んだ。
・遊牧の近代化は、それまでの軍事産業から家畜の平和利用という流れの中で、
① 社会主義的集団化=貧しい遊牧民の家畜を牧畜協同組合の所有に転換し、集団作業等
② 畜産物の開発=羊毛等の生産・加工や、乳製品生産用酪農場の建設、食肉の産業化等
③ 固定的施設の建設=移動範囲規制、宿営地に防寒施設整備、農業化、学校病院整備等
によって、人々の定着化が進み、モンゴルの生活様式が大きく変容するところとなった。
・なお、社会主義時代の1979~80年に、女性で初めて交換留学生としてモンゴルに行った小長谷教授は、変装して40kmの移動制限区域を越えて見聞を広めに出かけて行った後、当時のモンゴルKGBに捕まった経験をお持ちとのことであった。
・また、小長谷教授は最近まで、モンゴルにおける社会主義に関する現地聴き取り調査を続けてこられており、著書である『モンゴルの二十世紀-社会主義を生きた人びとの証言』(中央公論新社2004)等にそのあたりのことが詳しく記載されている。
〔民主化以後のモンゴル〕
・1992年に新憲法で土地の私有化が方向づけられて、紆余曲折を経て現在では「所有権」、「占有権」、「利用権」という3つの権利が認められている。
・家畜という動産中心の社会から、土地に資本投下する不動産社会へ移行することにより、投資した土地は所有したい願望などが現れて、様々な問題を生じさせた。
・草原部では、鉱産物資源の開発や、農業開発、更に多くのツーリストキャンプ(小規模観光)開発が追求され、その結果、川が切れるなどの荒廃が起きてきている。
・二十世紀に社会主義の下で行なわれた国営農場開発も、大半の農耕跡地はヨモギがはびこる荒廃地になってしまっている。
・遊牧民たちは市場経済化の中で大きな地域格差が生じたために、市場のある首都近郊へ、また道路の周辺へ大移動し、これが遊牧民の集中という事態を招くこととなった。
・同時に、同一地域の中での世帯間の格差も顕著になっている。
・今は分散のためのNGOによる支援等が行なわれており、今後、豊かな草原の条件である「そこそこ人と家畜がいる」状態の再生が望まれる。
〔梅棹忠夫先生のことについて〕
・大変にスケッチの上手な方で、調査のために戦中に訪れた中国から持ち帰った内蒙古の地図には、裏面に動物の絵が描かれているが、これは帰国する際に検閲で軍事機密として没収されないようにするためにスケッチで偽装(裏工作)したという有名なお話である。
・1983年に指導を受けた際に、梅棹先生が持ち帰られた研究資料を見せて欲しいとお願いしたことがあるが、断られた。当時はご自身で研究したいと思っておられたのではないかと想像する。その後失明されて、初めて資料を見せていただいたが、研究対象が変わっていたので、そのままになった。梅棹先生から研究を押し付けられるようなことは無かった。自分の今の研究もそろそろきりがつくので、今後は梅棹先生の残されたフィールドワークに関する研究をやってみようかと思っている。
・開催中の「ウメサオタダオ展」では、梅棹先生が生前に海外などで記された未公開の「フィールド・ノート」や直筆原稿など国立民族博物館所蔵の約500点を初公開しており、この膨大な資料は『民博の正倉院』とも言える貴重なものなので、是非この特別展を通じて、梅棹先生の先見性がどう形成されたのかを見てもらいたい。
以上

